『生徒の能力に依存しなければならない教育は誤りである』
教育に普遍的で絶対的な正解があるのかは私にはわかりません。しかし『生徒の能力に依存しなければならない教育は誤りである』と弊社は考えます。
『生徒の能力に依存しなければならない教育』とは、教育側は情報を乱雑に伝え、それらを整理整頓することを生徒に丸投げする教育を指しています。高等教育によくみられる傾向なのではないでしょうか?
内容が高度に専門化すればするほど、生徒に高度な能力を要求することは否定できません。かといって、教育側が生徒の理解力の上に胡坐をかき、大量の情報を伝えるだけの行為を教育と呼ぶのは間違っていると断言します。
なにが伝えたいのかがわからない教育は教育ではない
「教育」というカッコイイ言葉でなくてもよいです。人が人になにかを教えるのは、「なにか理由(目的)があって」、「なにかを伝えたい」からです。医学教育に限らず、現代の教育はこの2点があまりに希薄になりすぎていると感じます。伝えるために教育しているのではなく、教育のために教育している、手段の目的化という現象が生じています。
このような教育は生徒側が優秀であればかろうじて成立します。しかし伝わらないと、教育側が生徒側の能力の低さを非難することになります。あなたは『なんでこいつはこんなことがわからないんだろう』と考えた経験はありませんか?なぜ自身の伝える能力不足である可能性を非難しないのでしょうか?
教育を定義することで、教育側の能力向上を図る
教育は「伝える内容と目的」が明確になれば、質は格段に向上します。「うまく伝える」能力とは別の話です。たとえ説明がたどたどしく、冗長であったとしても、「伝える内容と目的」が明確であれば伝わります。
しかし、自身が誰かになにかを教育するときに「なんのために」「なにを伝えたい」のかを明確に定義することは慣れていないと難しい作業になります。論理的に矛盾なく、自身の教育を定義する支援をすることで、教育全体の質を向上させることが弊社の企業理念となります。